「月刊スカパー!」7月号にて吉野選手のインタビュー

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ発行)のスポーツ(バトル)では、プロレスライターの鈴木健.txt氏が毎月旬なゲスト選手を招き、インタビュー形式で連載中の「鈴木健.txtの場外乱闘」が掲載されています。現在発売中の2021年7月号では、第87回ゲストとしてドラゴンゲート・吉野正人選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めて特別に公開します。

最後に師匠と同じ空間を 過ごせていることへ感謝 吉野正人(ドラゴンゲート)

やるべきことはやりきった あとはいい思い出を作りたい

8月1日の引退の日が近づいてまいりました。
吉野 まだ(5月時点で)引退という実感がそこまでなくて、周りから言われる方が多いんですけど、今もリング上で試合をしていますし、本当にやめるのかなというフワッとした感じですね。
引退を初めて公表したのが2019年12月でしたから1年半以上かけての引退となります。
吉野 その間も試合はしていましたから、この状況が続いていくんじゃないかとずっと思っていました。おそらく当日まで実感は湧いてこないんじゃないかという気持ちですね。
どちらかというと自身の体調と向き合う方の現実感が強いですか。
吉野 そうですね、今年に入ってから蓄積で悪化して、4ヵ月半ぐらい試合ができなかったんですけど、どうしても完ぺきな状態じゃないので意識はそちらにいってしまいますよね。
この4ヵ月間の状況は引退を宣言した時には想定していなかったものですよね。
吉野 今年の開幕2、3日前に急激になったんで。それまではいつも通りの蓄積はあったんですけど、年末年始の試合がない時でもトレーニングは続けられていたので。4年前に首の中心性頚髄損傷と頸椎ヘルニアをやったんですけど、朝起きたらその時以上の痛みと痺れが出てお箸が持てない状況までいってしまって、自分でもビックリする壊れ方をしてしまったんです。
引退が近づくとなると最後に思い出の試合をやるなど終息に向かって穏やかにいくものですが、吉野選手の場合はまったくそうでなくなってしまったんですね。
吉野 新しいケガではなく、今までの蓄積なんですね。2020年のコロナ禍で無理した分が、年末の年始のちょっと落ち着いた時に一気に出てしまったんでしょうね。
体は正直ですから、もうここまでだよというシグナルが出たのかもしれません。
吉野 それもあるんでしょうね。自分の体は自分が一番わかっているので2020年で引退を決めたんですけど、そこから延ばしたというのもありますし。コロナの影響で興行が数ヵ月止まってしまった中で、選手サイドからもファンの皆さんからも本当に無理のない程度で見られなかった分、引退を延ばしてもらえたらという声をいただいた。僕らだけでなく、世の中の状況があまりよくなっていなくて楽しい場が奪われているじゃないですか。引退を延ばすことで皆様が楽しめる場が提供できればと、延長することを決めたんです。
そこがすごいというか、本来ならば引退しているのに、周りの声へ応えるために高知までいって治療に専念するなど、そこまでのことをしている。何がそうさせるんですか。
吉野 21年この業界でやってきて、本当に感謝…世の中がこうなっている時に少しでも恩返しができて、ちょっとでも皆さんが楽しめて仕事なりいろんなことを頑張ろうという気持ちになってもらえれば…もちろん自分も、こういう体ですから無理はできないですし、この4ヵ月で逆に心配させてしまう状況が続いてしまった。去年引退していればご心配かけることもなかった。残りの8月1日までは無理をせず、全試合出ることはできませんけど、出るからには皆さんを楽しませることに集中してやっていきたいという気持ちです。
自分よりも他者のためになっています。
吉野 自分のことだけを考えるのであれば、去年の時点でやめてよかったわけですし、もう満足はしているんです。やるべきことはすべてやりきりました。2017年のケガした時点で引退は決めていたんです。あと3年と決めてやってきたんで悔いはないんです。あとは選手、スタッフ、ファンといい思い出を作れればいいなと。こういう状況なので観戦もなかなか難しいですけど、今なら配信もあるのでそういったもので時間を共有できると思うので、最後にいい思い出を作りたいです。
吉野選手はデビュー以来闘龍門-ドラゴンゲートでやってきました。その間、多くの仲間たちが団体から巣立っていく中で最後までこの団体にいたこだわりはどんなものなのでしょう。
吉野 若い頃は自分のスタイルやポジションを確立するのに必死でしたけど、キャリアを重ねていく中でここに入ったからには最後までやろうという気持ちになりました。そうした中で会社が20周年を迎えたタイミングで、ウルティモ・ドラゴン校長と再会することができて、校長にもドラゴンゲートへ正式に帰ってきていただいた。そこは自分にとって大きな仕事ができたなと。もともと発起人というか、自分が言い出したところから現状にいたるまでの流れができましたので、最後に師匠と同じ空間を過ごせていることへ感謝していますね。

共有する時間の長さが作る人間関係 それがドラゴンゲートの好きなところ

ドラゴンゲートのどこが好きですか。
吉野 年の半分は一緒にいると思うんですよ。年間160試合していますし、移動だなんだを含めたら200日ぐらい一緒にいる。その中で20年やっているといろんなことがあって、普段は個人の考えがあってバラバラだとしてもいざという時は一つの方向に向く。ピンチになった時こそチャンスじゃないですけど、同じ方向になれるという団結力がこの団体の素晴らしいところだと思っています。
それは組織としての理想家ですが、なぜドラゴンゲートはそれができるのでしょう。
吉野 それもやはり共有している時間の長さでしょうね。その中での人間関係が、作ろうとしてではなく自然と過ごしている中でできてきたからだと思います。
1年の半分以上を共有してきた場から去るというのは、人生における大きな転換でもあります。
吉野 それこそ学生から社会を経験することなく入ってやってきて、一緒に育ってきたわけですからね。やめてからのことは、これから会社の方とも相談して今後の方向性を決めるつもりでいます。正直、これまでは体的にそういうことを考える余裕もなかったんで、ようやくちょっとずつ先のことも考えられるようになって、自分でもこれからどうなっていくんだろうという感じですけど、楽しみではありますよ。会社に残って何かをするのか、それとも違うところに飛び込むのかはこれからですけど、何かしらの形でこの業界には関わっていきたいですよね。引退したからプロレスとは関わり合いませんよというのはないし、この業界が好きなので。
40歳での引退は、プロレスラーとしては早い方です。
吉野 その分、濃すぎるプロレス人生だったということです。多い時には年間200試合やらせていただいて、47都道府県で試合できたし、海外にもいろいろいかせてもらえて大満足しています。
プロレスを続けることで得たもの、続けてよかったと思えることはなんでしょう。
吉野 それは人じゃないですか。21年過ごしてきた中で自分一人では何もできないなというのを知ることができました。関係者だけでなく、各地方の応援してくださる皆さんもいる中で人脈を作れた。僕はプロレスラーになってなかったら地元の東大阪から出ていなかったと思うんです。それが日本全国だけでなく海外にいくことで外国人の方との交流も深めることができた。本当に財産は「人」だと思いますね。
そうした中で“スピードスター”という異名に表される自分のスタイルを確立できました。このスタイルの後継者が出ればと思います。
吉野 今、オリジナルの技を新しい世代の選手に一つずつ引き継いでもらっているんですけど、スピードの部分に関しては努力ももちろん必要ですけど、努力してもどうにもならないところもありますからね。ロープに走っただけざわめきが起こるような選手が出てきてほしい。自分のモノに全部してしまおうという考えはないんで、その選手のプラスになればどんどん受け継いでほしいし。
継承されることでプロレス文化として残っていきます。
吉野 そうです。その選手がいずれ退く日が来た時に、さらに次の世代に受け継がれれば、自分が60、70歳になった時にプロレス業界で自分の技が生きていたら老後の楽しみになります。テレビをつけた時に、自分が生み出した技が流れたりしたら嬉しいですよね。
引退したあとのドラゴンゲートに望むことは?
吉野 ドラゴンゲートはどんどん若い選手が急成長してきているので、自分たちが築いてきた時代とはまた違うもの、彼らなりの時代を切り拓いていったら僕も安心して引退できます。
ここ数年の吉野選手は若い頃と比べてとても顔つきが穏やかになったなと思っていました。
吉野 丸くなっちゃったんですかねえ。年齢なのか、自分の中であと数年と決めたことで穏やかになったのか。それまではとにかく上を目指してトガっていたのが、今は楽しもうという方に変わっていっているんで。
穏やかな方が充実しているなと感じていました。
吉野 あとはこの状況が悪化せず、8月1日の大会が開催されるのを願うばかりです。

※取材・原稿/鈴木健.txt 取材協力/GAORA SPORTS
現在発売中のスカパー!番組ガイド誌『月刊スカパー!7月号』(ぴあ発行)では、連載「鈴木健.txtの場外乱闘」にて吉野正人選手のインタビューが掲載中です。